今さらながら、佐藤ママのこと。

佐藤ママについては、週刊誌やウェブマガジンなどのインタビューで度々目にしていて、ずいぶん極端な人だなあと思っていたのですが、今さらながら本(『受験は母親が9割』)を読んでみると、8割方はまっとうな方法論だと感じました。

 

批判している人のコメントを読むと、「子供の自主性が育たない(育ってない)のではないか」「人間教育としてどうか」といったあたりに集約されると思う。特に理Ⅲというところでこの批判が多いのではないかな。

 

気の毒だ。佐藤ママは受験に合格するための方法論を聞かれたからそれについて書いたのであって、人生論について聞かれるのであれば、もう1冊別の本を書くでしょう。書いていないことについて、しかも子供の人格について憶測であれこれ言われてはたまったもんじゃない。子供が巣立った後の自分の人生まで(燃え尽きやしないかなどと)心配されるにいたっては余計なおせっかい以外のなにものでもない。

 

ちなみに何のために勉強するのか、その目的について彼女は明確に答えています。「勉強するのは、人としてより豊かに生きていくため」と。美しい母国語が話せて、憲法について意見が交わせて、道端に咲く野花について語れるような日々は、きっと楽しいはずだ、と。

 

本の趣旨から逸脱している頭の悪そうな批判コメントより、ずっと美しいではありませんか。彼女が実践した受験方法論についてはもう出尽くしているので、彼女が考える家族論や、ジェンダー論など、そっちの方を訊いてみたい。どじょうを3匹も4匹も狙う受験本はもういいから、出版社の人は別企画でどうかご一考を。

 

さて、彼女の方法論はなかなか実践できるもんじゃないけれど、確かにそうだと痛感したところ。

 

(特に中学受験では)「子どもはまだまだ幼く、自分ひとりでは計画的に継続して勉強することができません」。「ああしろ、こうしろと口だけ出しても、子どもにとってはうっとうしいだけ」。仰る通りです。。

 

とりあえず計画だけはたててやろうと、夏休み、ノートを用意して1日1ページに朝昼夕と分けて、することを書き出しました。朝は夏期講習にでかけるまでに済ませること、昼は講義の内容(単元名)、夕は宿題などを何のテキストで内容は何で、それを何ページから何ページまで、と具体的にリストにして書き出し、終わったところにチェックマークを入れていきました。勉強内容だけでなく、お出かけの予定や、児童館に遊びに行く時間、上履きを(子供が)洗うというto doまで、とにかくその日にすることを全部書き出しました。

 

単元名というのが以外に重要で、単に「社会9ページから11ページまで」のように書くと、何がどこまで終わったのか計画帳を見ただけでは内容が把握できなくなってしまいますので、「社会3、第一次産業、9ページから11ページまで『確認と発展』」くらいに細かく書きました。算数のベイシックなども進め方が複雑なだけに細かく書き込みました。そしてマルつけは全部、ワタシ。間違えたところは一緒に解き直し。

 

チェック項目をつぶしていく、というのは分かりやすかったようで、あとこれとこれをやったら児童館! みたいな感じで、机には向かっているけれどいつまでもダラダラと何をやっているんだか、みたいな状況はなくなりました。

 

新5年生に入ってから、テキストの量が増えてげんなりしたのか、兄キの受験が終わってこちらもゆっくりしたくて放置していたためか、成績が下がり気味だったのですが、結果、夏期講習後のマンスリーではようやく回復させることができました。よかった、よかった。

 

ところが、そうは問屋が卸さない。というお話はまた今度。

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