駄作文。

娘の作文が机の上に放り出してある。読んで脱力した。夏の移動教室の様子を書いたもので、どうしてこういう構成になるのかなあ。

 

 ○月○日から△日まで、どこそこへ行きました。前の晩から胸が高まって眠れませんでした。一日目はアレをして、二日目はコレをして、三日目にはソレをしました。この三日間で心に残ったことは3つあります。一つ目は○○さんと△△したことです(以下2,3略)。この移動教室を通して、私は××ということを学びました。このことを忘れずに6年生の△△に向けてがんばりたいと思います。

 

…どうしようもない駄文。読んでいて恥ずかしくなる。だいいち何が言いたいのか分からない。まさか最終段落の、6年生に向けてがんばりますという決意表明がいちばん言いたいことか?

 

この典型的な行事作文にがっかりしていたところ、非常に興味深いインタビューを見つけた。国際日本文化研究センター助教授の渡辺雅子氏の、日米仏の子供たちの思考表現スタイルを比較研究したものだ。ネット上でかなり話題になったので読まれた方もいるかもしれない。

 

http://berd.benesse.jp/berd/center/open/berd/backnumber/2006_06/fea_watanabe_01.html

 

渡辺氏によると、(日本の)学校の作文課題の二大テーマは運動会や修学旅行などの学校行事と読書感想文で、どちらも行事や読書という体験を通じて「心の成長の軌跡」を表すのが良い作文とされている。成長の軌跡であるから「必然的に物事が起こった順番に書く」ことになる。

 

ウチの娘の駄作文、そのままじゃないか!

 

「起こったことをありのまま書いて時系列で気持ちの変化をたどる」という「学校作文でしかありえない唯一の作文の型」(渡辺氏)に、まんまとはまっている。

 

しかもねえ、いつも思うのだが、描写の技術もないのでストレートに気持ちを書く。「うれしかった」「悲しかった」「おどろいた」「すごいと思った」「ドキドキした」。したがって、たいがいの作文はこのひとことで言い尽くされる。

 

「最初は不安だったけど、あれしてこれしてがんばったらうまくできて楽しかった。」

 

これをむりやり1200字くらいに引伸ばすのだからおもしろい作文になるわけがない。

 

出してしまったものは仕方ない(しかも年間まとめの学校作文集用に提出してしまった)が、いくらなんでももう少し書きようがあるだろう。

 

「この移動教室で何がいちばん楽しかったの。」

「牛のえさやりと乳搾り。」

「だよね。動物大好きだからね。そのわりには、たくさん餌がある方に寄ってきて欲張りだとか、食べる時にしっぽをふっていたとか、そんなことしか書いてない。200字もない」

「他に書くことなかったから」

「いやいやいや、あるでしょう。そもそも牛はどんな牛だったの。白黒?くり毛?子牛?大人?かわいかった?」

「バニラっていう名前で、白い牛で薄汚れてて、最初はあんまりかわいくなかったの。じとーーってこっちを見てて…。」

「そう書けばいいじゃない」

 

こうして根ほり葉ほり様子を聞き出し、頭から書き直させたら格段に良くなった。

 

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 宿泊所の管理人さんが「こんなに晴れ渡るのも珍しい。八ヶ岳があんなにくっきり見える。君たちは運がいいよ」というくらい澄み切った青空の下、バニラは少しも動かずに、じとーっと私たちを眺めていた。私は前の晩からバニラのお世話をするのをとても楽しみにしていたのだが、あまり歓迎されていないようでがっかりした。

 

 飼育員さんから説明を受けて、まずはエサやりだ。私たちが干し草を手に取った瞬間、さっきまで微動だにしなかったバニラは、フーフーと鼻息を荒くし、しっぽをブンブンふりながら、わっしわっしとこちらにかけ寄ってきた。さっきまでの態度とあまりにも違うので、なんて現金なヤツなんだとびっくりした。いや、ひょっとしたら動けないほどさっきはおなかを空かせていたのか。いずれにせよ、人間みたいで、ある意味かわいいヤツだ。

 

(以下略)

 

ここまでで、すでに400字近い。

 

最初に全体を書く必要はない。さして感動もしていない出来事を「3つ」ならべるくらいなら、印象に残ったことひとつに絞ってそれを詳しく描写しよう。そして体験を通して学んだことなんてとってつけたように書かなくていい。こう書けば大人が喜ぶだろうみたいなのが透けてみえて、読んでいる方は鼻白む。だいいち行事のたびに毎度、本当に学びや気づきがあるのなら、みんな今頃もっと立派な子どもになっているはずだ、と言ったら娘は大笑いした。